屋号の“おおみやけ”は三宅姓の最高位にある家柄を尊称して、人々が大をつけて呼ぶようになったものです。
天領時代の直島で、三宅家第21代の兵右衛門が初代の庄屋に任命されて以来、明治初年まで 倉敷代官に仕える村の役所でした。 門番が寝起きする供部屋を備えた長屋門と母屋の2件が文化庁登録文化財となり、母屋は宿泊施設に改装されました。
築400年以上の三宅家。しかし、登録文化財として一般公開はしていません。
築400年以上の三宅家。しかし、登録文化財として一般公開はしていません。
■三宅家平面図
三宅家は、庄屋の姿を今に伝える家の配置が非常によく保存されています。家屋の構成は表の玄関が客人用と勝手口にわかれ、本来は本陣(本来、戦の時に大将が詰める本部の事でしたが、以後は大名、公家、幕府の役人、僧侶などの貴人の宿舎)を伴っていたそうです。かつては裏に酒蔵・醤油蔵があって舟が家の近くまで入れるようになっていました。当時、庄屋のみに認められた醸造業の姿がわかります。


